会社創業までを思い出す。

こんにちは。堺市東区の女性ファイナンシャルプランナーが経営する不動産会社「咲結ライフプランニング株式会社」の川岸です。

私がなぜ今会社を経営しているのか、とってもよく質問いただきます。だいぶ前のブログに書いたような記憶はありますが、めくるのも面倒だと思うのであらためて(笑)

私にはもうすぐ8歳の娘と5歳の息子がいます。どちらも誰に似たのかとても元気で、元気すぎてわんぱくすぎて朝から怒鳴り声が枯れます(笑)

私の名刺を渡すと大概の方が資格の数で驚かれます。私の資格は全て娘が生まれてから取得したもの。それでまた驚かれます。

私が資格をとろうと思ったきっかけは、もうすぐ8歳になる娘でした。

娘が産まれた病院は、赤ちゃんに優しい病院?と認定されている病院でした。我が家の近くは、2軒しか出産できる病院がないので2択です。なんとなく総合病院を選びました。

産まれたら母乳育児を推奨している病院だったのですが、たいして気にせず、産んだら出るだろうのノリで出産。まさかのほとんど母乳が出ませんでした。ミルクは悪!のような病院でミルクの作り方も教えてもらえず、娘は何日もお腹がすいて泣き続け与えられるのは砂糖水、私は精神的に参ってしまい、毎日泣いていました。退院する少し前にミルクの作り方を教えてもらいましたが、授乳室の片隅で作る日々。入院生活で、産後うつのようになってしまったのだと思います。

そんな時、夫から「ミルクの何があかんねん。大人になってカップラーメンばっかり食べる生活の方がよっぽど悪いやろ!」と言われて、それもそうかと、ミルクをあげる罪悪感を感じながら、毎日あげていました。娘はミルクが大好きで、ミルクを飲んでは寝る、ミルクを飲んでは寝る、一ヶ月たったころには夜6時間以上寝てくれました。でも産後うつの私は、自分を責めました。

こんなに寝るのは、ミルクで育てている私のせいだ。私が母乳が出ないからミルクで育てられて可哀想。娘の寝顔を見ながら、そんなことばかりを考えている日々でした。

そんな生活が3ヶ月ほど経った時、ふとこんなことを思いました。

この子はミルクで育てられて可哀想な子だ。でも、将来、この子が好きな学校を選んだりできるように、お金に苦労しないように育ててあげよう。どこでも働けるように資格をとろう。そう思い立ちました。

その時は運転免許証しかなかったんです(笑)

とりあえず本屋さんに行って、資格取得の本棚へ。そこでたまたま手にした本がファイナンシャルプランナー3級の本でした。なんとなく実生活に近いところもあるし、なんとかなるかも?と思い、娘が寝ている横で勉強を始めました。

9月にFP3級を取得。

不動産の分野が面白いと思い10月の宅建士試験に出願。難しすぎて泣きながら勉強して何とか合格。

将来自分で仕事するには経理知識もいると思い、11月に簿記3級。

年明けに、FP2級、簿記2級、証券外務員、競売不動産取扱主任者と取得を続けました。少し時間をあけて、CFP®︎とFP1級を取得して今に至ります。

今思うと、あの時の思いってすごかったんだなぁ。もう一度頑張れと言われても無理かもと思います(笑)

下の子は、母乳育児を推進しない病院だった(2択のうちの1つ)ので、初めから諦めてミルクで育てました。もし、上の子を同じ病院で産んでいたら、きっと今の私はいないことと思います。

さてさて、8歳にまもなくなる娘ですが、本当に 今でも毎日よく寝る子です。たぶんミルクだからではなく、よく寝る子だっただけなんだろうと今では思います(笑)よく食べ、よく寝て、よく動き、2歳くらいから熱も出さずに、とっても元気な女の子です。

下の息子は、とっても元気なのですが、食が細く、寝なくても平気ですが、しょっちゅう病気になります。同じ遺伝子でもこんなに違うんだな〜と思います。

あまりこのブログを見ている方で出産を控えている方はいらっしゃらないかもしれませんが、母乳かミルクか?普通分娩か帝王切開か??なんて、今思えば、今日の気分はうどんか蕎麦か?昨日の朝ごはんはパンかご飯か??くらいどうでも良いことです。なので、そんなこと聞かないでも良い。しょうもないと今は思います。私は特に娘の時は泣いてばかりだったので、育児を楽しんでほしい。私ができなかったので切に願います。
2人が人様に迷惑をかけず、元気に大きくなってほしいと願っています。

咲結ライフプランニング株式会社 オフィシャルサイト

初めまして。大阪府堺市美原区にて、女性ファイナンシャルプランナーが経営する珍しい不動産屋を開業いたしました。お気軽にご相談くださいませ。

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